先日、友達とひょんなことから仕事以外でお金を稼ぐことについて話した。
友達曰く、お金は宝くじとかいきなりドカンと儲けるのはいいが、仕事以外でお金を稼ぐのは良くないと言われた。
まさに日本人的な発想である。
普通に働いて普通に暮らすのが一番
株などの投資系、ブログの広告収入など楽して稼ぐことはギャンブルでしかなく、いつ0になるかわからない。
毎日普通に働いて普通に安定した給料をもらって普通に生活できるくらいが一番なんだ。
それ以外の稼ぎは汚い金だと言う。
そういえばどこかで読んだ記憶があるが、現代の若者へのアンケートでお金のイメージを聞いたら「汚いもの」、「稼ぐことは悪いこと」みたいな結果になったと言っていた気がする。
きっとニュースでお金にまつわる事件が多いからそういうイメージになってしまったのだろう。
物事には対価が必要
だが、言わせてもらえば「何言ってるのかイミフ」。
別にお金は汚くも悪くもないし、あればあるだけ大歓迎。
稼げるならいくらでも稼ぎたい。
食べるためにはお金が必要だし、趣味にもお金か時間が必要、勉強するのだって時間という対価を払うし、効率を上げるためには塾だったり家庭教師にお金を払う。
結局はお金という道具が必要になる。
一つの仕事だけを続ける危険性
昔なら終身雇用なんて就職すれば定年まで安泰みたいな話もあったが、いまの時代いつ会社がダメになるかわからない。
なのに収入源が給料のみなんて安泰もなにもあったもんじゃないと思うんだ。
たしかに副業禁止という会社もある。
じゃあ何かあった時に会社は助けてくれるのか?
生活は保証してくれるのか?
現実は会社の存続が最優先だし、社員に対して「我慢」を要求してくるはず。
ニュースでも散々報道されてきたのでわかると思うが、それでも立ち行かなければ「解雇」という行動に出てくる。
そんな時に給料以外にも収入源がある場合と無いとでは安心感が段違いなはず。
卵が先か鶏が先かでは無いが
友達曰く「結局はお金が欲しいだけだろう。お金を使いたいからいろんな事をやる」と言われたのだが、そこで「お金が欲しいからいろいろやる」と考えるか「いろいろやるためにお金が必要」とでは同じようで全然違う。
お金を使いたい人間はお金が欲しいとお金の事をばかりを考え、使いたいから何かをする。
一方、いろいろやりたいと思う人間はあれをやってみたい、これをやってみたいとスキルアップを優先的に考える。
同じ事のように思えるが、絶対的にモチベーションが違う。
前者はお金を使ったら満足してしまうが、後者はお金を使っても目的がそれではないので満足はしない。
「お金がすべて」か「お金はきっかけ」か、考え方がちょっと違うだけでお金の価値がまったく違ってくる。
お金はとても便利な道具
お金というものはとても便利な道具だ。
先ほどの話ではないが、普通に働いて普通に暮らせるだけの収入があればいいという考えもたしかにいいかもしれない。
お金を手に入れるために人生という「時間」を対価としてどんどん会社に提供していって欲しい。
だが先ほどギャンブルだ、汚い金だとまで言われた、それらの収入源があったらどうなるだろう。
もちろん収入を得るにあたって仕事には影響しない範囲でというのは当然だか、それらも決して楽なんかではない。
端から見れば楽に見えるかもしれないが、それなら誰でもできるはずだろう。
実際にやってみればどれだけ大変かわかるはずである。
それらの収入を利用して知識や技能を取得する、マンションを購入して賃貸で家賃収入を得る、株式投資で配当を得るなどすることが可能になるなど可能性は無限大だ。
最初のうちは時間イコール対価ではあるかもしれないが、最終的には時間と対価がイコールではないという事がわかるはず。
極端な例を挙げれば、投資系の配当、家賃収入、ブログの広告収入などが本業を超えてしまえば、そちらが本業となる。
そうなると毎日会社に時間を提供する必要もなくなるし、短時間で数倍の対価を得る可能性だってある。
考えようによってはお金で時間を買ったことにもなるんじゃないだろうか?
社畜の安寧を欲し定年までお金を得るために時間という等倍の対価を払い続けるか、上を目指して数倍の対価を得るかはあなた次第。