意識高い系といえば、自分の経歴を高く見せたり、人脈を自慢したりと自分を過剰演出している割には大したことがない。
こういった系の人生は大抵が華々しいもので、人生にマイナスな点がほとんどなかったりする。
必ずといって大学時代はサークル活動をし、リーダー的な地位にいるといった具合の経歴が出てくる。
そこにはセルフブランディングや、自分磨きを励んでいるような人なんかも含まれることが多く、それらを総称する言葉が「意識高い系」である。
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意識高い系はうざい
ことあるごとに博識であることや政治に関心があるようなことをSNSやブログで発言し、周囲から「意識高い系うざい」と思われるのがパターンだが、果たしてすべてを「意識高い系」という言葉で済ませてしまっていいのだろうか?
それこそ自分にバイアスがかかってやしないだろうか?
たしかに過剰演出はうざいが、セルフブランディングや自分を磨く行為はこれから重要になるはず。
あえて言うなら、「意識高い系」は過剰演出をする人、「意識高い」は自分を磨くための努力を怠らない人と全く別物にするべきであるんじゃないかと。
意識を高く持ちイノベーションを
ここで言いたいのは当然後者である「意識高い」人のこと。
昔の人が宇宙に人が行けるようになるとは思いもしなかっただろう、携帯電話やスマホみたいなものも空想の産物だった。
昔はありえないとか不可能と思われていたことも今や当然なことになっている。
それは考えにも当てはまる。
そんなことできっこない、ムリムリと意識の高い人間をバイアスのかかった目で見ているかもしれないが、それが将来あたりまえのことになっているはずだ。
もしかしたら意識高い人の考えが普通のことで、自分が意識が低いだけなんじゃないだろうか?と疑ってもいいんじゃないだろうか。
そこで「意識高い系うざっ」と言って済ませば何も考える必要も無く気分もいいのでとても楽なことだろう。
深く考えることをせずに条件反射のごとく捨て台詞を吐いていては、いつまでたっても意識低い人から抜け出すことはできない。
モブキャラAから名入りキャラに昇格することはできない。
意識高い人は決して人を見下しているのではなく、意識の低い人は無意識のうちに自分を低い位置に見てしまっているからそう見えるだけかもれしない。
そこで疑うことを覚えなければイノベーションは起こらない。
将来的にはマイノリティーだった意識高い人がマジョリティーになる可能性もありえる。
これからは自分の意識をイノベーションしていかなくてはいけない。
正しい方向へ向かうこととが大事
ただ、間違った方向に進んでしまうことだけは注意しないといけない。
意識高い系の人に近づこうと、まったく何も考えず、「勉強会で教わったから」「その人が言うのだから」と信じてしまった結果カモにされてしまうなんてこともよくあること。
自分のベネフィットにつながるかどうかを考えて意識を高めていってほしい。
意識高い系っぽさ8割増しで書いてみた。
あえて言おう、テヘペロうぜぇ